育種材料と品種の開発

コムギの品質低下をまねく「穂発芽」をゲノム編集技術で打開

要約

農研機構の安倍史高主任研究員(現上級研究員)および岡山大学資源植物科学研究所の佐藤教授らの研究グループは、CRISPR-Cas9システムを用いることで、コムギが保持する穂からの発芽に関わる6個の遺伝子の機能をすべて抑えることに成功しました。それにより得られたコムギ系統は、コムギの品質を大きく低下させる「穂発芽」が起こりにくくなっていました。

研究者が研究論文を分かりやすく解説
ゲノム編集を利用した新しい品種の開発や関連技術について、幅広い方々にご理解いただくため、最近発表された研究論文を研究者が分かりやすく解説します。

2020.7.8

背景

従来の方法では遺伝子の変異に手間と時間がかかる
コムギは我が国にとって重要な作物です。ここ数年の日本での生産量はおよそ80-100万トンで、更に海外からも毎年560万トン前後が輸入されています(農水省統計)。食料自給率向上のためにも、国産コムギの増産はとても重要になります。我が国でのコムギ栽培では、収穫時期が長雨シーズンにかかる場合があります。収穫前に雨にあたると穂についたまま発芽してしまうことがあり、品質を大きく低下させることになります。この現象を「穂発芽」と言い、種子の発芽のしやすさと関係しています。穂発芽は我が国でのコムギ栽培上の大きな問題の一つです。
今日では穂発芽が起きにくい品種の開発も進みましたが、まだ完全な克服には至っていません。これには現在のコムギ(コムギには様々な品種がありますが、本記事ではパンコムギに絞ってお話しします)の複雑な成り立ちも関わっています。コムギは、長い進化の過程で、お互いに近縁な3種の野生コムギが自然界で掛け合わせを繰り返し、その結果、ゲノム(用語集、「ゲノム」を参照)が2倍、3倍と増えた、いわゆる、ゲノムが倍数化した植物であると考えられています。元となった3種の植物は、それぞれのゲノムを持っていましたが、倍数化した結果、コムギは3種類のゲノムを持ち、同じ先祖遺伝子から受け継いだ、ほぼ同じDNA配列を持つ、いわゆる同祖遺伝子が6個共存することになりました*1。そのため、コムギでは、遺伝子の変異がその性質の変化として子孫に現れにくい作物として知られています。つまり、一つの遺伝子が突然変異などでその働きを失っても、残りの遺伝子の働きが残っているために、見かけ上その突然変異を起こしたコムギの性質は元のコムギの性質と差がないものになってしまいます。そのため、コムギの性質を変え品種改良を行うためには、6個すべての同祖遺伝子に変異を起こす必要があります。しかし、そうした複数の変異を導入し、解析・利用するためには、膨大な手間と時間を要することから、コムギの品種改良は困難を極めていました。
ゲノム編集なら一気にまとめて遺伝子に変異を起こせる
ところが、最近開発されたCRISPR-Cas9 システムなどのゲノム編集技術を用いれば、「似てはいるが別の遺伝子」でもそれらの間で塩基配列が同じ個所があれば、そこを狙って切断および変異をまとめて一気に起こすことができます(図1、当サイト「ゲノム編集について」の項目の「ゲノム編集技術とはどのような技術ですか。」を参照)。この様な理由から、コムギの品種改良の分野で、ゲノム編集技術の利用により新品種の開発が格段に進むものと期待されています。こちらで紹介する成果は、ゲノム編集によって穂発芽を克服できる可能性を示した国内の研究グループによる優れた研究です。

図1.コムギでのゲノム編集のイメージ

それぞれの遺伝子配列が同じ場所にCRISPR-Cas9のガイドRNAを設定することにより、6個すべての遺伝子を一気に切断して変異を起こす。

解説

コムギ遺伝子の解析にオオムギの遺伝子Qsd1を活用
研究グループでは、倍数化したゲノムをもつコムギでは、突然変異を起こさせて穂発芽に関わる遺伝子を見つけ出すことがほぼ困難であることから、よく似たゲノムを持つオオムギの穂発芽に関与する遺伝子の情報を活用しました。
オオムギはコムギと異なり二倍体で、ゲノムには同じ遺伝子が2個(1対)しかなく、遺伝子の働きと品種としての性質を比較的簡単に調べることができます。岡山大学の佐藤教授らの研究グループは、農研機構の小松田隆夫主席研究員らのグループと共に、2016年にオオムギで穂発芽に関与する遺伝子Qsd1を見つけていました*2。オオムギでは、この遺伝子が2個とも壊れると休眠が長くなり発芽が遅れることが分かりました。研究グループは、これを手掛かりに、コムギでオオムギのQsd1遺伝子とよく似た配列を持つ遺伝子を探し、6個(3対)の遺伝子TaQsd1-A, TaQsd1-B, TaQsd1-Dを見つけました。予想通り、見つかったこれらの遺伝子は相互によく似た塩基配列をもっていました。次に研究グループは、それらの遺伝子の間で配列が同じ部分を探し、実験用のコムギ品種「Fielder」を使い、その部分をCRISPR-Cas9システムを使って切断しました。得られたゲノム編集コムギから更に選抜を重ね、各同祖遺伝子が様々な組み合わせで編集された系統を得ました。これらの系統で穂発芽の程度を調査したところ、6個すべての遺伝子が働かなくなった系統だけで、発芽に要する期間が延びると共に、穂発芽が強く抑えられていることが確認されました(図2)。これらの系統では、これ以外の性質は、元のコムギ品種「Fielder」と変化は認められませんでした。更に得られたコムギの塩基配列を調査し、ゲノム編集の際に外部から持ち込んだ遺伝子が残っているかを調べたところ、外来遺伝子はみつからず、組換え体とみなす必要がないことも確認できました(用語集、「ヌル分離個体」参照)。


図2.ゲノム編集により穂発芽が抑制されたコムギ【写真提供:安倍史高博士】

元の系統(右)とゲノム編集を行った系統(左)の穂を霧吹きにより濡らして人工的な雨濡れ状況を再現して穂発芽の程度を比較した。

倍数化したゲノムを持つ作物の品種改良に有効なゲノム編集技術
この成果は、コムギ遺伝子の解析にオオムギの遺伝子情報を活用するというこの研究グループが選んだ戦略の有効性を示すと共に、倍数化したゲノムを持つがゆえに穂発芽のように農業生産上極めて重要な性質を品種改良によって変えることができなかったコムギの新品種開発に、ゲノム編集技術が極めて有効な解決手段となることを明らかにしたものです。今後、ゲノム編集技術がコムギの重要な遺伝子の解析に威力を発揮すると共に、ゲノム編集技術を用いた画期的な品種が作出されていくことが期待されます。

(この記事の執筆にあたっては、安倍史高博士(農研機構 次世代作物開発研究センター)のご協力をいただきました。)

この記事の元となった論文

Genome-Edited Triple-Recessive Mutation Alter Seed Dormancy in Wheat
(訳)ゲノム編集を行ったコムギの三重劣性変異体では種子の休眠性が変わる

著者名:Fumitaka Abe et al.

Cell Reports 28, 1362 (2019) doi: 10.1016/j.celrep.2019.06.090

もっと詳しく知りたい方のために

*1 現在広く栽培されているパンコムギ(Triticum aestivum)の元になったのは、同じ祖先から分化した3つの野生種の二倍体コムギです。まずヒトツブコムギとクサビコムギが交雑し倍数化して四倍体の野生フタツブコムギができ、それが約1万年前に栽培されるようになった後、さらに別の二倍体野生種のタルホコムギと交雑し倍数化してできたのが、六倍体のパンコムギです。異なる3つの野生種から受け継いだ3種類6セットのゲノムを持っていることから、異質六倍体と呼ばれます。ヒトツブコムギに由来するゲノムをA、クサビコムギに由来するゲノムをB、タルホコムギに由来するゲノムをDとし、パンコムギのゲノムをAABBDDと表すのが一般的です。また、それぞれのゲノムに存在し、同じ起源をもつ遺伝子を同祖遺伝子と呼びます。
(一部、『コムギの話@NBRP』を参考にさせていただきました。)


*2 オオムギの祖先である野生オオムギは、中東を中心に自生し、春に成熟した後夏の数ヶ月間高温乾燥を耐えるために発芽を休止し種子の状態で休眠したように過ごします。栽培オオムギには、野生オオムギと同様に長く休眠する品種と、さほど長く休眠しない品種がありますが、休眠の長短は収穫期の穂発芽の防止や、麦芽製造の際の利便性など育種的観点から極めて重要な性質となっています。本研究では、オオムギ休眠性遺伝子Qsd1を見いだしてその配列を明らかにすると共に、Qsd1が穂発芽に関与していることを明らかにしました。
発表論文等:Sato K. et al. Nat. Commun. 7, 11625 (2016) doi:10.1038/ncomms11625

  • 企画/解説担当者:大島 正弘(農研機構)
  • 編集協力者:津田 麻衣 ・ 髙野 誠(筑波大学)・高須 陽子・橋野 せつ子・高原 学(農研機構)・藤井 毅(JATAFF)
  • イラスト担当者:大島 正弘・笠井 誠(農研機構)