2022年5月19日

私たちの食卓におなじみのパンやパスタはコムギでできています。現在のコムギ品種は、いくつかの野生コムギが自然に交配(交雑)してできたと考えられています。どのようにして野生コムギが現在のコムギ品種になっていったのか、その進化の過程をひも解いてみましょう。

コムギの進化を理解するためには、いくつかの知識が必要になってきます。その説明も簡単に交えながら、解説を進めていきたいと思います。

ゲノムとは「生物に必要な最低限の遺伝情報」のことです。
その遺伝情報はどこにあるかというと、細胞の核の中の染色体にあります。染色体を作り上げているのは、4種類の物質が鎖のように(植物の場合、数億~数十億個)つながったDNAという物質で、その4種類の並び順が遺伝情報となっているのです。
(ゲノム・染色体・DNAについてさらに詳しく知りたい方は、このサイトのいちから分かる!「ゲノムの正体を探る」をご覧ください。)

では、コムギに話を戻します。

3種類の野生コムギから現在のコムギへ

自然界には、共通の先祖から別々に進化した多くの野生コムギが存在します。そのうち3種類が現在のコムギの元になったという説が最も有力です。その3種類とは、ヒトツブコムギ、クサビコムギ、タルホコムギというコムギです。

コムギのゲノムは、7本を1セットとする染色体にある遺伝情報です。現在のコムギの元になった野生コムギは14本の染色体を持っています。このようにゲノム2セット分にあたる遺伝情報を持つ生物を「二倍体」といいます。

ヒトツブコムギのゲノムをA、クサビコムギのゲノムをB、タルホコムギのゲノムをDと表記する方法で、現在のコムギの成り立ちを見てみましょう。これらは二倍体なので、持っているゲノムは、ヒトツブコムギがAA、クサビコムギがBB、タルホコムギがDDと表記されます。

はるか昔、ヒトツブコムギ(AA)とクサビコムギ(BB)が交雑して雑種(AB)が生まれました。それが倍数化して四倍体のフタツブコムギ(AABB)になりました。倍数化とは細胞分裂、特にめしべ・おしべを作る時の失敗などで偶然ゲノムが増える現象のことです。その後、フタツブコムギとタルホコムギ(DD)が交雑して三倍体の雑種(ABD)が生まれました。もう一度倍数化が起こり、およそ8000年前に六倍体の普通コムギ(AABBDD)になりました。パスタなどに使われるマカロニコムギはフタツブコムギから、パン・めんなどに使われるパンコムギは普通コムギから、品種改良で生み出されました。

図解すると図1のようになります。

コムギ

図1.コムギの進化

倍数体とは

同じ属や種の間でゲノムのセット数が何倍かに増えている生物の事を専門用語で「倍数体」といいます。コムギは倍数体の説明をする時に例としてよく使われる作物です。

フタツブコムギ(AABB)、普通コムギ(AABBDD)のように、異なる先祖のゲノムをあわせ持つ倍数体を「異質倍数体」といいます。異質倍数体は、先祖が共通で(ほぼ)同じDNA配列・同じ役割の遺伝子を多く持つことになります。例えば、ゲノムを6セット(3対)持つ普通コムギは、そのような遺伝子を6つ(3対)持っています。
また、異質倍数体には、同じ種類のゲノムの染色体が均等に次世代に受け継がれるという特徴があります。普通コムギで見てみると、めしべとおしべのゲノムは必ずABDの組み合わせの三倍体となり、それらが融合した次世代はまたAABBDDになります。

次に、これらの特徴がどう品種改良に影響するのかを説明します。

コムギの品種改良

植物には、自然で生きるためには必要な一方で、人が農作物として育てるには不要な性質や特徴(形質)もあります。品種改良では、自然変異・突然変異によって不要な形質(その原因である遺伝子の働き)を失った植物を利用する、という方法がよく行われます。しかし、異質倍数体ではこの方法が難しくなるのです。

例えば、ほぼ同じ配列・役割の遺伝子を6つ(3対)持つ普通コムギで、Aゲノムのとある遺伝子が変異した個体があったとします。この個体では、Bゲノム・Dゲノムの同じ役割の遺伝子が正常に働けば形質があまり変わりません。異質倍数体では役に立つ変異を見つけることが難しいのです。

さらに、各ゲノムは別々に次世代に受け継がれるので、Bゲノム・Dゲノムの変異していない遺伝子は世代を重ねてもずっとそのままです。異質倍数体では、遺伝子の働きを完全に失った植物を得ることが難しいと言えます。

しかし、近年「ゲノム編集」技術を活用することにより、その問題解決の糸口が見いだされています。ゲノム編集は、特定の遺伝子だけを狙い変異させる技術です。コムギのように(ほぼ)同じDNA配列・役割の遺伝子が6つ(3対)あっても、一度に変異させることができ、品種改良の手間や時間が大幅に改善できる可能性が示されています(図2)。

図2.コムギのゲノム編集

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