【2021年2月5日】
<要約>
牛は品種改良に時間がかかる動物です。しかし、人工授精やゲノム情報を利用した品種改良によって、乳牛の代表格のホルスタイン種では1頭当たりの乳量が飛躍的に増え、1950年から約70年で4.4倍になりました。
ホルスタイン種には本来角があるため、通常他の牛や人間を傷つけないよう角が取り除かれますが、ゲノム編集技術で角の生えないホルスタイン種が作られました。もともと角が生えなければ、牛にとっては角を除くなどの苦痛を伴う処置を受けずにすみ、人間にとっては角を除く経費や手間暇が無用となります。ホルスタイン種の高い生産性を損なうことなく角が生えないようにできるこの技術は、人間にとっても牛にとってもメリットの大きいものですが、その実用化に当たってはゲノム編集動物の安全性をめぐる議論が続いています。
背景
牛の角は飼育する人にとって危険なうえに、他の牛を傷つけたり、餌を争うことで成長のばらつきの原因になったりするため、のこぎりなどで切る、あるいは子牛の時期に生えてこないように焼きごてをあてる、薬品を塗るなどの処置が行われます。除角と呼ばれるこれらの処置は麻酔をかけるなど牛に与える苦痛が最小限になるよう配慮して実施されているものの、動物福祉の観点から問題視されることもあります。
現在、世界中で飼育されている肉牛のアンガス種は、もともと角がなく肉質も柔らかいため、角のない肉牛の生産や新しい角なし品種の開発に広く使われています。しかし、乳牛として優れた性質を持ち世界で最も多く飼育されているホルスタイン種には角があります。角のないホルスタイン種の雄牛もごく少数存在しますが、これらの角なし雄牛は、現在交配に広く使われている優秀な雄牛と比べると性質が劣るため、仮にこれらの角なし雄牛を優先的に交配に使用した場合、雌牛1頭当たりの乳の生産性は下がってしまいます。優秀な個体との戻し交配(用語集「交配育種」参照)によってこれを改善することは可能ですが、何世代もの交配が必要になります(用語集「リンケージドラッグ」参照)。世代間隔が長く体の大きい牛で行うには膨大な時間と労力がかかるため、たとえ交配育種によって優秀な角なし雄牛を育成したとしても、それから得られる利益は開発費に見合うものにはならないでしょう。
一方で、牛の遺伝子と有用な形質との関係はゲノム情報の解読とともに急速に理解が進んでいます。牛の角の有無を決定する遺伝子やその働きはまだわかっていませんが、牛のゲノムの中のPOLLED、すなわち“角なし”と呼ばれる領域の配列が関係していることがわかっています。POLLED領域の一部に同じ配列が繰り返す変異を持っている牛には角が生えず、その繰り返しがない牛には角が生えることがわかってきました。つまり、ホルスタイン種のゲノムのPOLLED領域だけを繰り返しのある変異型、つまり「角なし型」に変えれば、乳量等の優れた性質を変えることなく角が生えないようにすることができると予想されました。
ここでは、人間にとっても牛にとっても望ましい角なし形質をゲノム編集によってホルスタイン種に導入した研究を紹介します。また、牛の品種改良におけるゲノム編集技術の可能性とゲノム編集動物の実用化をめぐる問題についても解説します。
解説
ゲノム編集で角なし牛の作出に成功
米国のバイオエンジニアリング企業リコンビネティクス社とミネソタ大学、テキサスA&M大学の研究グループは、2016年にゲノム編集によって角のないホルスタイン種の雄牛を作り出すことに成功しました。研究グループは、牛の胎子から取り出した細胞をシャーレの中で培養し、これにゲノム編集ツールの一つであるTALENと角なし型変異を導入するための鋳型DNAを取り込ませ、細胞のゲノム中のPOLLED領域を角なし型に編集しました。そして角のある雌牛から取り出した卵子の核を角なし型にした細胞の核と入れ換え、この卵子を代理母の子宮に移植しました(図1)(品種改良とバイオ入門「乳牛の品種改良を支える技術」参照)。合計26頭の代理母牛から5頭の子牛が生まれ、そのうち2頭の雄牛が育ち、2頭とも角なし牛でした。これら2頭はいずれもゲノム中に2か所あるPOLLED領域の両方が角なし型に変わっていました。
図1. ゲノム編集による角なし牛の作出
POLLED領域に意図しない変異を検出
2019年にその角なし牛に関する続報が出ました。ゲノム編集で作られた角なし牛のうち1頭から精液を採取し、角を持つヘレフォード種という肉牛の雌牛10頭に人工授精したところ、子牛が6頭生まれました。予想通りすべての子牛が角なし牛になりましたが、POLLED領域のDNA配列を詳しく調べると、正確に思い通りの変異が入ったものとそうでないものの2種類があることがわかりました。本来の角なし型は、POLLED領域に繰り返しがあるので、ゲノム編集ではこれと同じ配列にするように鋳型遺伝子を設計し、細胞に取り込ませました。このとき、鋳型DNAの繰り返し配列だけがゲノムに写しとられることを想定していましたが、鋳型DNAの全体が写しとられたうえ、繰り返し配列は二重に写しとられるという意図しない変異が起こっていたことがわかりました(図2)。
図2. POLLED領域のゲノム編集によって生じた2通りの変異
ゲノム編集牛と通常の牛で子牛の変異数は同程度
次に、ゲノム編集によって狙った場所以外にどれくらいの変異が入るかを調べるため、ゲノム編集で作った角なしの雄牛と、通常のホルスタイン種の雄牛(ゲノム編集角なし牛の父親に当たります)の精液を使って、ヘレフォード種の雌牛合計9頭に人工授精し、生まれてきた子牛9頭のゲノム配列を調べました。それぞれを基準となるヘレフォード種の牛のゲノム配列と比較した場合、1塩基が別の塩基に置き換わる最も多いタイプの変異(SNP)の数は、ゲノム編集角なし雄牛を父に持つ子牛6頭と通常の雄牛を父に持つ子牛3頭の間に差はありませんでした(図3)。また、このときそれぞれの子牛でどの程度の突然変異が起こったかを調べた結果にも、ゲノム編集牛と普通の牛で差がないという結果が得られました。つまり、ゲノム編集に伴って導入されるSNPの数は、品種間の違いによるSNPの数に比べて十分小さいものと考えられ、また、ゲノム編集角なし牛に突然変異を起こしやすいという性質はないことも確認されました。
図3. ゲノム編集角なし雄牛とその子牛のゲノムの変異の数
(注)この図では、角の生える牛には角を描いていますが、実際には角は除かれています。
米FDAは遺伝子組換え動物と同様に厳格に規制する方針
米国で遺伝子組換え動物の規制を担当する食品医薬品局(FDA)は、新たな遺伝子やその一部が導入されていない場合でも、ゲノム編集動物に対しては、遺伝子組換え動物と同等の安全性確認を求めるという厳しい規制方針を示しています*1。上に述べたゲノム編集角なし牛に関しては、2016年の論文で開発者が見逃していた意図しない変異の導入をFDAも独自に報告しており、ゲノム編集動物を厳しく審査する必要性を示すものと指摘しています。その理由として、ウシ白血球粘着不全症(BLAD)を例に、意図しないゲノム変異の危険性を挙げています。BLADとはわずか1塩基の遺伝子変異によって起こる牛の病気で、運悪く両方の親からこの変異を受け継いだ子牛は数か月以内に死亡します。乳牛として優秀な遺伝子を持っていたホルスタイン種の雄牛がたまたまこの変異を持っていたため、その精液を通して、一時は全米の23%のホルスタイン種の牛にこの変異が広がりました。このような深刻な事態を避けるためにも、ゲノム編集動物や遺伝子組換え動物のゲノムに意図しない変異が入っていないことを厳密に確認することは重要であるとしています*2。
CO2排出量の削減や病気の克服にも期待
今回紹介した米国のホルスタイン種は、人工授精やゲノミックセレクションといった技術により、1頭当たりの乳量が飛躍的に伸びたため(品種改良とバイオ入門「乳牛の品種改良を支える技術」参照)、コップ1杯の牛乳を作るために排出する二酸化炭素(CO2)の量がこの50年で3分の1にまで減りました。しかし、世界的に見るとこれは一部の国にしか当てはまりません。乳牛の飼育頭数が多い国10か国について、1頭の牛が1年間に生産する乳量を比較すると、図4のようにアフリカの国々では米国の数十分の1という低い値にとどまっています。飼育されている牛の品種が地域の環境に適したものであり、その品種の改良がホルスタイン種ほど進んでいないことが主な要因だと考えられます。今後、乳量の多い品種に地域に適した性質を持たせるためにゲノム編集技術が利用されれば、CO2排出量の削減に貢献すると期待されます。
図4. 乳牛の飼育頭数上位10か国における1頭当たりの乳生産量(FAO, 2018)
牛の品種改良の進んだ国においては、人工授精やゲノミックセレクションを駆使した品種改良を続けた結果、遺伝的多様性が失われるとともに、さまざまな遺伝病が顕在化し、品種改良の速度も鈍化する傾向にあります。しかし一方で、ゲノミックセレクションの普及とともに多数の品種・変異種のゲノム情報の解読が進み、それによって遺伝子と形質との関係解明も進んでいます。それらの情報とゲノム編集を利用すれば、遺伝病の克服や、品種改良の再加速が可能になると考えられます。
ゲノム編集角なし牛の開発者の一人であるAlison Van Eenennaam博士は、ゲノム編集技術を「育種」という名のアイスクリームサンデーのてっぺんにのっているチェリーと表現しています。牛の育種には時間がかかるがゆえに人工授精を始めとする様々な先端的な技術が開発され、利用されてきました。これらの技術を組み合わせて築き上げられた緻密な育種システムなしで牛のゲノム編集は実現できません(品種改良とバイオ入門「乳牛の品種改良を支える技術」参照)。つまり、ゲノム編集は既存の育種技術と組み合わせることで初めて力を発揮し、牛の育種全体をより一層洗練されたものにする技術と言えるでしょう。
(この記事の執筆にあたっては、細江実佐博士・農研機構企画戦略本部、佐々木修博士・農研機構畜産研究部門のご協力をいただきました。)
この記事の元となった論文
Production of hornless dairy cattle from genome-edited cell lines
(訳)角なし乳牛をゲノム編集細胞株から作出(2016年)
著者名:Daniel F. Carlson et al.
Nat. Biotechnol. 34, 479 (2016) doi: 10.1038/nbt.3560
Genomic and phenotypic analyses of six offspring of a genome-edited hornless bull
(訳)ゲノム編集角なし雄牛の子6頭のゲノムおよび表現型分析(2019年)
著者名:Amy E. Young et al.
Nat. Biotechnol. 38, 225 (2019) doi: 10.1038/s41587-019-0266-0
より詳しく知りたい方のために
*1 米国食品医薬品局(US FDA)は、2017年1月に出された産業向け指針案(GFI#187)の中で、外来の遺伝子が導入されていないゲノム編集動物を遺伝子組換え動物と同様に「動物医薬品」として扱うとしています。そのため、ゲノム編集動物を商業利用する際には、安全性を確認するため、元になった品種やその動物の基本情報、その動物の用途、詳細な作出方法、生まれてから死ぬまでの健康情報、組織・生理学的データ、変更した遺伝子の世代をまたいだ安定性、食品としての直接的・間接的な毒性の有無などの詳細なデータを提出することが求められます。 ゲノム編集動物をすべて遺伝子組換え動物と同様に扱うとするこの規制方針は、米国農務省(USDA)によるゲノム編集農作物に対する規制方針とは異なっています。しかし、2020年12月には、農業利用を目的とする遺伝子組換え動物・ゲノム編集動物の規制をUSDAに移管する方針が示されたことから、今後の動きが注目されます。
遺伝子操作により改変あるいは開発された動物の移動規制の変更に関する意見公募
*2 1980年代の初めにホルスタイン種で確認されたウシ白血球粘着不全症(BLAD)の原因となる遺伝子変異は、1952年に生まれて1963年に死んだオズボーンデールアイバンホーという名の優秀な雄牛にまでさかのぼることができます。交配育種の過程で発生したこの病気のように、たった1塩基の変異が畜産業に及ぼすかもしれない甚大な被害を規制によって回避するのであれば、ゲノム編集を含む遺伝子操作技術だけを規制しても不十分で、これまで規制のなかった交配育種も規制対象としなければ意味がないという批判もあります。
- 企画/解説担当者:髙須陽子(農研機構)/髙野 誠・津田麻衣(筑波大学)
- 編集協力者:藤井 毅(JATAFF)/農研機構企画戦略本部新技術対策室
- イラスト担当者:髙須陽子(農研機構)