【2021年3月2日】
<要約>
お米の世界でもゲノム編集技術を利用した新しい品種改良が提案されています。異なる品種を掛けあわせて作るハイブリッドライス品種は、広く一般に栽培されている品種に比べて20-30%高収量ですが、種もみの生産には花粉を作れない特殊なイネを使う必要があるため、品種の作出や維持に多大な労力と時間がかかります。
しかし、ゲノム編集技術で遺伝子の機能を改変することで、新しいハイブリッドライス品種の作出と維持が効率よく安定して行えることがわかりました。
背景
日本の主食といえば「お米」です。米は、日本だけではなく多くの国で主食として食べられています。FAO(国連食糧農業機関)の2018年の統計データ*1から算出された国民一人当たりの米の推定消費量を国別に比較した結果では、1位はバングラデシュ、2位がラオス、3位がカンボジア、日本はなんと30位です(図1)。この結果からも、米は東南アジアやアフリカを中心に世界中で食べられている大切な食品であることがわかります。
そこで、食糧の確保に重要なイネの収量性を高めるための方策のひとつ、ハイブリッドライスの利用について紹介します。
図1.コメ消費量国別ランキング
異なる品種との交雑から生まれた子(雑種第一代、F1)が両親の品種よりも旺盛な生活力を示すヘテロシス(雑種強勢)という現象は、多くの生物で見られます。イネにおいても異なる品種間の交配から得られたF1で、従来品種の20-30%収量性が高まるヘテロシスが見られます。このF1はハイブリッドライス(用語集「F1」参照)と呼ばれ、世界の食糧増産への貢献が期待されています。
ハイブリッドライスを作り出すためには、イネの花のめしべに異なる品種の花粉を受粉させる人工交配が必須です。イネは一つの花の中におしべとめしべの両方があり、花が咲いたときにはすでにおしべの葯(やく、花粉の入った袋)から花粉が飛び散り、同じ花の中にあるめしべに受粉、すなわち自家受粉してしまっています(図2)。そのため、異なる品種と交配する時には、咲く少し前の花を、自家受粉しないよう処理して使います。
図2.イネの花と受粉のしくみ
以前は花からおしべを一つ一つ取り除いていましたが、最近ではお湯で花粉を不活化する方法が利用されています。イネの穂を43℃のお湯に7分間つけることで、めしべは影響を受けず花粉だけを働かないようにすることができ、これにより人工交配の作業効率が大きく向上しました。
しかし、一つの穂には80ほどの花がついていて、それらが咲く時期には数日のずれがあるため、すでに受粉した花やまだ咲いていない花を取り除く作業や、花が咲く時期に合わせて交配相手の品種の花を準備して交配する作業には膨大な労力と時間がかかります*2。そのため、この方法は、実際に農家で栽培するためのハイブリッドライスの種子を生産する手段としては非現実的といわざるを得ません。
現在、ハイブリッドライスの種子生産には、主に雄性不稔イネ系統が利用されています。「雄性不稔(ゆうせいふねん)」とは、正常な花粉が作れない性質のことで、自分の花粉では種子を作ることができません。この雄性不稔イネ系統と花粉を提供する別の品種を一緒に栽培すれば、わざわざ人工交配しなくてもハイブリッドライスの種子を得ることができます。
しかし、雄性不稔イネ系統は花粉を作ることができないため自身と同じ後代を作ることができず、何もしなければ一代で絶えてしまいます。雄性不稔イネ系統維持のためには、特定の環境条件で稔性が戻る雄性不稔系統を使うか、あるいは、ハイブリッドライスの両親に加えて雄性不稔を維持するための系統を利用するといった工夫が必要となります。このため、ハイブリッドライスの種子生産システムは複雑で手間がかかるものとなっています*3。
この記事で紹介する研究では、ゲノム編集技術を用いて、葯の発達を調節する「ジャスモン酸」という物質の合成を止めることで、雄性不稔イネ系統を従来よりも簡単に作出できることを示しました。
さらに、この雄性不稔イネに、ジャスモン酸メチル(MeJA)を散布すると花粉が発達するようになり自分で種を作れることから、系統の維持が容易になることを明らかにしました。簡易な方法による雄性不稔イネの作出と系統維持を可能にしたこの研究成果は、ハイブリッドライスの種子の効率的な生産に利用できると期待されます。
解説
植物の体内で作られるジャスモン酸は、花粉の発達に重要な役割を果たすことが知られており、ジャスモン酸を作るのに必要な遺伝子の働きが阻害されると、雄性不稔になることが報告されています。
このような遺伝子のうち、シロイヌナズナのOPR3については、いくつかの変異体が知られており、遺伝子の機能の研究が進んでいます。中国杭州市の大学を中心とする研究グループは、CRISPR/Cas9システムを用いたゲノム編集により、OPR3と類似性が高いイネの遺伝子OsOPR7の機能を失わせたイネを作出しました。
作出したゲノム編集イネの開花した花の、めしべの先端(柱頭=ちゅうとう)を調べたところ、そこには花粉粒はほとんど観察されませんでした。また、ゲノム編集イネに穂を作り始める時期から毎日3回ずつ15日間連続でジャスモン酸メチル(MeJA)を散布したところ、ゲノム編集イネのめしべに少ないながらも花粉粒が付着していることが確認されました。
すなわち、OsOPR7の機能を失ったゲノム編集イネでは花粉の形成が阻害され、雄性不稔になりましたが、ジャスモン酸メチルの散布によって花粉が形成され、稔性が回復する可能性が示されました(図3)。
図3.ゲノム編集雄性不稔系統を用いたハイブリッドライス種子の生産
次に、MeJAを散布して花粉形成を復活させたゲノム編集個体(T0世代)が種子をつけるかどうかを調べたところ、元の品種に比べて明らかに少なかったものの、系統を維持するには十分量の種子が得られました。
また、その種子を播いて育ったイネ(T1世代)を同様にMeJAで処理してその次の世代(T2世代)を作出しました。これらの後代についても、ゲノム編集で得られた最初の個体(T0)と同様に、MeJA処理をしない場合は花粉形成が阻害されましたが、MeJA処理をした場合は、花粉が形成されて種子が結実しました。さらに、T2世代で収量に関係する農業形質を調べたところ、元の品種と比べて草丈、止葉(とめば、茎の一番先についた葉)の長さ、穂数、一穂当たりの粒数に明確な差はありませんでした。
これまでにも、核の中にある遺伝子が原因で起こる雄性不稔を利用したハイブリッドライスの生産システムは報告されていますが、日長や温度などの特定の環境条件でのみ雄性不稔になる系統を使用しているため、環境の変化によって稔性を回復し、種子の純度が下がることがあります(図4-A)。
注)核の遺伝子は両方の親から、細胞質は種子親から受け継がれます。
図4-A. 核の遺伝子に原因がある雄性不稔の利用(環境条件によって稔性が戻る場合)
注)核の遺伝子は両方の親から、細胞質は種子親から受け継がれます。
図4-B. 細胞質に原因がある雄性不稔の利用
しかし、ゲノム編集イネの雄性不稔性は、環境条件に左右されないため、純度の高いハイブリッド種子を作ることができます。
このゲノム編集雄性不稔イネ系統を増やすのに必要なMeJAの散布が環境汚染を引き起こす可能性は低く、またMeJAは人間には無害です。MeJAの類縁体、つまり構造がよく似た化学物質の中には食品添加物として一般的に使用されているものもあります。そして、MeJA溶液は安価です。ただし、人件費の高い先進国ではドローンなどの使用により、散布コストを抑える必要があるでしょう。
今回作出したゲノム編集イネにMeJAを散布したときの種子結実率は20%程度と低かったので、今後はMeJAによる処理条件をさらに検討して、種子結実率を向上させる必要があります。こうした最適化を行うことで、このゲノム編集で作出した雄性不稔イネ系統がハイブリッドライスの種子の生産に広く用いられるようになると期待されます。
この記事の元となった論文
Creation of male-sterile lines that can be restored to fertility by exogenous methyl jasmonate for the establishment of a two-line system for the hybrid production of rice (Oryza sativa L.)
(訳)「ハイブリッドライス生産のための二系法の確立に向けたジャスモン酸メチルで稔性を回復する雄性不稔系統の作出 」(2020年)
著者名:Haksong Pak et al.
Plant Biotechnol. J. (2020) doi: 10.1111/pbi.13471
より詳しく知りたい方のために
*1 FAO統計データ
生産量、輸出入量、備蓄量の変化から割り出した人の食用に供される米および米製品の人口当たりの年間供給量(FAOSTAT, 2017)より計算。
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*2 イネの品種改良
*3 ハイブリッドライスの雄性不稔系統
ハイブリッドライスの生産に利用される雄性不稔系統は、「核の遺伝子に原因があるもの」と「細胞質に原因があるもの」とに分けられます。核の遺伝子に原因があるものについては、環境条件によって稔性が戻る系統が使用されるため、比較的容易に維持できますが、種子の純度が低下する場合があります(図4-A)。
一方、細胞質に原因がある雄性不稔系統を利用する場合は、維持のための花粉親が必要となり、それを作出し、維持する手間がかかります(図4-B)。
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- 企画・解説担当者:津田麻衣・髙野誠(筑波大学)・髙須陽子(農研機構)
- 編集協力者:農研機構企画戦略本部新技術対策室・藤井毅(JATAFF)
- イラスト担当者:笠井誠・吹野伸子(農研機構)・津田麻衣(筑波大学)