育種材料と品種の開発

品質低下をまねく「穂発芽」が起きにくいゲノム編集コムギを開発

【2022年5月19日】

<要約>

収穫前のコムギが濡れ、穂のまま発芽してしまう「穂発芽」という問題があります。農研機構と岡山大学の研究グループは、コムギの発芽のタイミングを調節制御すると考えられる遺伝子を見つけ、CRISPR/Cas9によるゲノム編集を行いました。その遺伝子が働かなくなったゲノム編集コムギの種子は発芽が遅くなり、穂発芽が起こりにくくなりました。

背景

コムギの国内消費は年間およそ650万トンですが、自給率が約15%と低く(出典:農林水産省)国産コムギの増産が求められています。しかし、日本でコムギを栽培すると穂の成熟期が雨の多い6~7月頃と重なり、濡れた種子が収穫前に発芽する場合があります。これは「穂発芽」と呼ばれ、コムギの品質を大きく低下させます。

品種改良で穂発芽の問題が完全に解決されていない原因には、コムギの成り立ちが関わっています*1。現在のコムギ品種の多くは、Aゲノム、Bゲノム、Dゲノムと呼ばれる3種類の野生コムギのゲノムを持つ倍数体(ゲノム構成AABBDDの六倍体)となっており、ほぼ同じ配列・役割の遺伝子が6つ(3対)あります。(詳しく知りたい方は、品種改良とバイオ入門「コムギの進化」をご覧ください。)

一般的な品種改良では、良い性質(=その原因となる遺伝子の変異)を持つ植物を探し、交配によって変異を組み合わせて更に良い性質へと改良していきます。しかし、二倍体の植物と比べて、六倍体であるコムギでは遺伝様式が複雑で、同じ役割の遺伝子が複数同時に変異しなければ良い性質にならない場合もあり、交配による品種改良が難しくなります。

一方、CRISPR/Cas9などのゲノム編集技術は、変えたい性質の原因となる遺伝子が特定できれば、それが複数の「ほぼ同じ遺伝子」でも一度に変異させることが可能です(図1)

今回紹介する論文では、コムギの穂発芽の問題を解決するため、ゲノム編集技術を活用した原因遺伝子の解明と品種改良に取り組みました。

図1.CRISPR/Cas9を用いたコムギのゲノム編集
ほぼ同じ遺伝子の配列が一致する部分をターゲットとしてガイドRNAを設計し、一括で切断

解説

ゲノム編集を行うためには、はじめに変えたい性質、ここでは穂発芽に関わる遺伝子を見つける必要があります。農研機構の安倍史高上級研究員と岡山大学の佐藤和彦教授らの研究グループは、六倍体のコムギで穂発芽に関わる遺伝子の候補を見つけるため、まず近縁種であるオオムギの遺伝子情報を活用しました。

二倍体であるオオムギに存在する同じ遺伝子は2つ(1対)なので、遺伝子の働きと性質の関係をコムギより調べやすいといえます。Qsd1という遺伝子が働かないオオムギ品種では、種子の休眠が長いことが明らかにされていました*2。種子の休眠とは、種子が発芽に適した状態におかれても一定期間発芽しないことであり、休眠が長い品種ほど穂発芽しにくいことになります。

同研究グループは、コムギにもQsd1に似た配列・似た役割の遺伝子があると推測し、コムギのゲノム配列データからTaQsd1遺伝子(Taはパンコムギの学名:Triticum aestivumに由来)を探し出しました。TaQsd1遺伝子はコムギのゲノム6セットに1つずつ、合計6つ存在していました。

6つのTaQsd1遺伝子で配列が完全一致する部分を標的としたガイドRNAが設計され、CRISPR/Cas9を用いたゲノム編集が行われました。そして、「Fielder」という品種を材料に、TaQsd1遺伝子が2つ変異して働きを失った個体から、6つとも変異した個体まで、複数種類のゲノム編集コムギが得られました。

そのうち、TaQsd1遺伝子が6つ(3対)とも変異したゲノム編集コムギでは、種子が吸水してから発芽までの時間が元の品種より長くなっており、収穫前に濡れても穂発芽しにくくなりました(図2)

一方、TaQsd1遺伝子が少なくとも1つは正常に働くゲノム編集コムギでは、吸水から発芽までの時間は元の品種と変わりませんでした。このことから、TaQsd1はコムギの休眠を短くする原因遺伝子の一つであることも明らかになりました。

イネの穂

図2.濡れても穂発芽しにくいゲノム編集コムギ
【写真提供:農研機構】
TaQsd1が6つとも変異したコムギ 右:元のコムギ品種)

なお、穂発芽しにくいゲノム編集コムギの実用化には、TaQsd1遺伝子の変異が栽培特性や収量・品質など他の性質に影響するかどうか調べることが必要です。2021年9月に農研機構から提出されたゲノム編集コムギの実験計画報告書が文部科学省に受理され、同年11月に同機構の隔離圃場で屋外栽培実験が開始されています。

この研究では、ゲノム編集技術がコムギの品種改良の加速化に有効であることが示されたとともに、穂発芽という重要問題解決の突破口となる可能性が示されました。

今後、コムギをはじめ倍数体農作物の品種改良にゲノム編集技術が活用されることが期待されます。

この記事の元となった論文

Genome-Edited Triple-Recessive Mutation Alters Seed Dormancy in Wheat
(訳)ゲノム編集を行ったコムギの三重劣性変異体では種子の休眠性が変わる
著者名:Fumitaka Abe et al. 
Cell Reports 28, 1362 (2019) doi: 10.1016/j.celrep.2019.06.090 

(この記事の執筆にあたっては、農研機構次世代作物開発研究センター 安倍史高博士のご協力をいただきました。) 

用語解説

*1 コムギの倍数性

「コムギの話@NBRP」を参考にしました。(NBRP=National Bio Resource Project)

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*2 オオムギの種子の休眠性

・中東などに自生する野生オオムギでは、春に成熟した種子が、夏の高温乾燥に耐えるために秋まで休眠します。野生オオムギから栽培オオムギが育種される過程で、様々な休眠の長さの品種が得られました。下記の論文では、オオムギの休眠に関わる遺伝子Qsd1を発見し、穂発芽への関与を明らかにしました。
発表論文等:Sato K. et al. Nat. Commun. 7, 11625 (2016) doi:10.1038/ncomms11625

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  • 企画/解説担当者:大島 正弘・中野 善公(農研機構)
  • 編集協力者:農研機構企画戦略本部新技術対策課 /津田 麻衣・髙野 誠(筑波大学)/藤井 毅(JATAFF)
  • イラスト担当者:笠井 誠(農研機構)