知的財産の動向

シリーズ:いちから分かる!バイオと知財の話
【第7回】発明概念の抽出と特許権の効力

【2022年7月7日】

 ある研究成果が得られた場合、そこから如何なる発明概念を抽出するかによって、取得する特許の効力は全く異なるものになってしまいます。シリーズ第7回は、発明概念の抽出と特許権の効力の関係について、次の仮想事例を基に解説していきます。


大学教員の甲は、小麦や大麦などの麦類において、ある植物ウイルス(ここでは「ウイルスX」とします)に抵抗性が高いものと低いものが存在することに着目し、この抵抗性と関連する遺伝子の探索を行った結果、抵抗性が高い麦類においては、共通して遺伝子Aの特定の領域が欠失していることを見出した。次いで、遺伝子Aの特定の領域の欠失が実際に麦類の抵抗性の原因となっているかを確認するため、CRISPR/Cas9系を利用して、ウイルスXに抵抗性が低い麦類において遺伝子Aの特定の領域を欠失させたところ、抵抗性が高まることを見出した。以上から、甲は、遺伝子Aの特定の領域の欠失の有無が、麦類のウイルスXに対する抵抗性の差異を生じさせていると結論づけた。



-発明概念の抽出と特許権の効力-

この研究成果からは、いくつかの発明概念を抽出できそうですが、例えば、遺伝子Aの特定の領域の欠失の有無が、麦類のウイルスXに対する抵抗性の差異を生じさせているとの結論に基づき、「麦類の遺伝子Aの特定の領域の欠失の有無を検出することによる、麦類のウイルスXに対する抵抗性の評価方法」という発明概念を抽出して特許権を取得したとしましょう。この場合の特許権の効力はどうなるでしょうか。

日本国において「方法の発明」の特許権の効力は、その方法を使用する行為にのみ及び、その方法を使用することにより得られた成果物の販売などには及ばないとされています。従って、この発明概念の場合、第三者が、様々な麦類(例えば、異なる品種を交配させた麦類や、遺伝子Aのゲノム編集処理を行った麦類)において、遺伝子Aの特定の領域の欠失を指標にウイルスXに対する抵抗性を評価する行為(方法の使用)は抑止できますが、遺伝子Aの特定の領域を欠失させることによりウイルスXへの抵抗性を高めた麦類を販売する行為(成果物の販売)を抑止するには十分でありません。

それでは、多少視点を変えて、例えば、「遺伝子Aの特定の領域を欠失させることによる、ウイルスXに対して抵抗性が高められた麦類を生産する方法」という発明概念を抽出して特許権を取得した場合、その効力はどうなるでしょうか。日本国では、方法の発明の中でも「物の生産方法の発明」に限っては、その方法を使用する行為の他、その方法により生産された物の譲渡(販売)などの行為にも、特許権の効力が及ぶとされています。従って、この発明概念の場合は、遺伝子Aの特定の領域を欠失させることによりウイルスXに対する抵抗性を高めた麦類を生産する行為(方法の使用)のみならず、生産された麦類を販売する行為(成果物の販売)をも抑止することができます。

このように同じ研究成果であっても、どのような発明概念を抽出して権利請求するかにより、特許権の効力に大きな違いが生じることになります。一つの特許においては、複数の権利請求を行うことができますので、本仮想事例では、上記の双方の発明概念での権利請求を含めておくことが得策と言えるでしょう。

 

-特許権の効力の制限-

それでは、仮に、「麦類の遺伝子Aの特定の領域を欠失させることによる、ウイルスXに対して抵抗性が高められた麦類を生産する方法」の権利請求で特許権が成立し、甲の所属する大学から特許権の全範囲についてライセンスを受けたZ社がビジネスを行うことになったとしましょう。この場合において、Z社が特許発明の全範囲を自由に実施できるかというと、そうでない場合があります。その典型例が、特許発明を実施するに際して、他者の特許発明を実施することになってしまう場合です。

本シリーズの第6回では、日本国においてCRISPR/Cas9系の基本特許が成立していることを説明しましたが、Z社が、麦類の遺伝子Aの特定の領域を欠失させるためにCRISPR/Cas9系を利用する場合において、その基本特許に係る発明を実施することになってしまう場合には、自由に実施ができないことになります。Z社は、基本特許の特許権者からライセンスを受けるか、他者の特許が存在しない他の手段で代替するなどの対応が必要となります。

 

-過度な限定と特許権の効力への影響-

本仮想事例において、遺伝子Aの特定の領域を欠失させるためにCRISPR/Cas9系を利用していることに鑑みて、仮に、「CRISPR/Cas9系を利用して麦類の遺伝子Aの特定の領域を欠失させることによる、ウイルスXに対して抵抗性が高められた麦類を生産する方法」のように、「CRISPR/Cas9系を利用して」という限定を伴った発明概念を抽出して、特許権を取得した場合、その効力はどうなるでしょうか。

現在、遺伝子の特定の領域を編集するための手段としては、CRISPR/Cas9以外にも多くの手段(他のゲノム編集系の他、ゲノム編集系以外の技術)があります。従って、実験内容に即してCRISPR/Cas9系に限定した権利請求を行うと、他者による特許回避が容易になり、他者のビジネスの自由度を広げることになります。これは教員甲の属する大学の立場で言えば、企業へのライセンスの機会を減少させることを意味します。

それどころか、上記の通り、特許発明の実施が、CRISPR/Cas9系の他者の基本特許に係る発明をも実施することになってしまうと、そのライセンスが必要となり、自己のビジネスの自由度を制限することにもなります。このことも教員甲の属する大学の立場で言えば、企業へのライセンス機会を減少させる要因になります。

発明概念を抽出する際には、過度な限定とならないよう留意が必要です。

 

優れた研究成果を生み出すことの重要性は論を待ちませんが、以上見てきたように、ビジネスの成功のためには、その研究成果から、如何なる発明概念を抽出するかということもまた重要なのです。

 

(著者:弁理士 橋本一憲・弁理士法人セントクレスト国際特許事務所 副所長)


<関連記事1>

シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話【第6回】ゲノム編集技術基本特許の特許要件

シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話

ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。


シリーズの全記事

著者のプロフィール

橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)

橋本弁理士の似顔絵<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より弁理士法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。