知的財産の動向

シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話
【第6回】ゲノム編集技術基本特許の特許要件

【2022年4月2日】

本シリーズ第5回では、特許出願後、特許庁審査官が発明内容につき審査の際に、特許に値するか否を判断する際の指標となる特許要件について説明しました。それでは、ゲノム編集技術の基本発明の特許出願を事例に、特許要件がどのように判断されたかを見ていきましょう(理解を容易にするために、各特許出願の序列を下図に示します)。

①ヴィリニュス大学の基本発明(特許6423338号)

この特許出願は、CRISPR-Cas9系の特許出願として最先です。このため、ヴィリニュス大学はCRISPR-Cas9に関する広範な権利範囲を主張しましたが、「インビトロ系」以外の態様(細胞系やインビボ系)については、当初の2つの特許出願において実施例のみならず記載もないとして優先権の主張が否定され、最初の特許出願の出願日まで遡及する効果(遡及効)が得られませんでした。このため、当初の特許出願後に公開された様々な文献(例えば、カリフォルニア大の発明者らによる初期の論文[Jinekら. Science 337, 816 (2012)]など)に基づく「発明の新規性/進歩性」の拒絶理由や、カリフォルニア大学およびブロード研究所の特許出願に基づく「拡大された範囲の先願」の拒絶理由などが通知され、最終的に、CRISPR-Cas9の適用範囲を優先権の主張が認められた「インビトロ系」に限定することにより特許が成立しました。

②カリフォルニア大学の基本発明(特許6692856号)

CRISPR-Cas9に関する広範な権利範囲を主張しましたが、「インビトロ系」でのCRISPR-Cas9系の利用を開示した上記ヴィリニュス大学の先行出願に基づいて「拡大された範囲の先願」の拒絶理由が通知され、CRISPR-Cas9の適用範囲を「真核細胞」に限定することにより特許が成立ました。特許成立後の異議申し立ての審理では、優先権の基礎とした当初の2つの特許出願においては真核細胞の実施例がなかったとして、優先権の主張の可否が争点とされましたが、日本国特許庁は、真核細胞に関する明細書の記載および特許出願時の技術水準を考慮して、真核細胞についても「実施可能性/サポート」があったとして、優先権の主張を認めました(関連記事1)。なお、カリフォルニア大学は、同じ基礎出願に基づいて、CRISPR-Cas9系における一分子ガイドRNAの利用を規定する基本特許(特許6343605号)なども成立させています(拒絶理由を含む審査経過は特許により異なります)。

③ツールゲン社の基本発明(特許6517143号)

この特許出願は、真核細胞の実施例を伴う特許出願としては最先です。このためツールゲン社は、「真核細胞」におけるCRISPR-Cas9系の利用につき権利範囲を主張しましたが、「インビトロ系」でのCRISPR-Cas9の利用を開示したカリフォルニア大の発明者らによる初期の論文(上記Jinekら)に基づいた「発明の進歩性」の拒絶理由が通知されたました。これに対して、ツールゲン社は様々な反論を行いましたが認められず注1)、最終的に、「ガイドRNAの5’末端に2つのグアニンを付加すること」などで特定することにより特許が成立しています。

④シグマアルドリッチ社の基本発明(特許6620018号)

シグマアルドリッチ社は、審査前に、自発的に「一本鎖を切断する活性(ニッカーゼ活性)を有すゲノム編集系を2つ組み合わせてゲノム編集を行う系(いわゆるダブルニッカーゼ系)」に限定する補正を行いました。その後の審査過程では、ダブルニッカーゼ系に用いるゲノム編集系をCRISPR-Cas9に限定する補正などを行うことにより特許が成立しています。

⑤ブロード研究所の基本発明(特許6723094号)

当初より「真核細胞」におけるCRISPR-Cas9系の利用に加えて、いくつかの特徴(本特許では、核移行シグナルの利用、ガイドRNAにおけるtracrRNA部分の鎖長が30ヌクレオチド以上)で権利範囲を限定していましたが、審査過程において、上記ツールジェン社およびシグマアルドリッチ社の先行出願に基づいた「拡大された範囲の先願」の拒絶理由や、「インビトロ系」でのCRISPR-Cas9の利用を開示したカリフォルニア大の発明者らによる初期の論文(上記Jinekら)に基づいた「発明の進歩性」の拒絶理由が通知されました。この拒絶理由に対しては、特許庁審判部および知財高裁まで争われましたが、当初より、ガイドRNAにおけるtracrRNA部分の鎖長を「30ヌクレオチド以上」と具体的に限定していたこともあり、最終的に、主要な権利請求については、そのまま特許が成立しています(関連記事2)。なお、ブロード研究所は、同じ基礎出願に基づいて、非常に多くの日本国特許を成立させています(拒絶理由を含む審査経過は特許により異なります)。

カリフォルニア大学は、上記の通り、CRISPR-Cas9に関する最初の出願ではヴィリニュス大学に遅れをとり、真核細胞の実施例を伴う最初の出願では、ツールゲン社、シグマアルドリッチ社、ブロード研究所の3者に後れをとりましたが、CRISPR-Cas9の真核細胞への適用を広く規定した発明について特許を成立させています。なぜ、このような結果を得ることができたのでしょうか。上記審査経緯の分析から、大きく、以下の3つの理由を挙げることができます。

(1) 特許出願前に近い先行技術が公開されておらず、「発明の新規性/進歩性」の拒絶理由が通知されなかったこと。
(2) 当初の特許出願に真核細胞の実施例がなかったが、明細書の記載と出願時の技術水準を考慮して、真核細胞についても「実施可能性/サポート」があったと認定され、これにより優先権の主張が認められたこと注2)
(3) 幸運なことに、より早く最初の特許出願を行っていたヴィリニュス大学が、当初の特許出願においてインビトロ系以外の態様(細胞系やインビボ系)の記載を十分に行っていなかったことから、インビトロ系以外の態様の優先権が否定されたこと注3)

こうして見てくると、真核細胞について、「十分な明細書の記載で特許出願を早期に」行い、その後に実施例を補充して優先権を主張するというカリフォルニア大学の出願戦略が、「不十分な明細書の記載で特許出願をより早期に」行ったヴリニュス大学や「実施例による裏付けでは先行したが特許出願自体は遅れた」3者よりも、「発明の新規性/進歩性」、「拡大された範囲の先願」、および「実施可能性/サポート」の要件の兼ね合いの中で有利に審査を進め、最終的に、日本国において広範な基本特許を取得できたと言えそうです。

特許出願は、出願日から1年半を経過後に公開されるため、基本特許権者らは、特許出願当初は、自己の特許出願が他者とどのような競合状態にあるかを知ることはできませんが、最初の特許出願から1年の間に何度も優先権の基礎となる特許出願を行っていた事実に鑑みると、見えない敵に負けないよう研究者と知財担当者が連携して必死に対応を行っていたことをうかがい知ることができます。とはいえ、このような競合状態にあるとは、蓋を開けてみて本人達もビックリ(あるいはガックリ)したのではないでしょうか。

注1)審査過程においては、特許出願前にインビトロ系でのCRISPR-Cas9の利用を開示したカリフォルニア大の発明者らによる初期の論文(上記Jinekら)が公開されていたことから、日本国特許庁は、この論文を引用して、インビトロで機能することが確認できたCRISPR-Cas系を真核細胞に適用することは当業者が容易に想到することであるとして「発明の進歩性」を否定しました。
これに対して、ツールゲン社は、真核細胞の細胞内環境は、試験管における管理された人工的環境とは全く異なるから、Jinekらの論文に開示されたインビトロのデータは、真核細胞の発明が成功する合理的な期待を当業者に与えないことなどを主張しました。しかしながら、日本国特許庁は、Jinekらの論文には、CRISPR-Cas系がZFNやTALENの代替法であることも記載されており、真核細胞での使用が既に周知であるZFNやTALENと同様に真核細胞に適用できることは当業者が容易に想到し得るとして、この主張を認めませんでした。ツールゲン社は、最終的に、ガイドRNAの5’末端に2つのグアニンを付加することなどで権利範囲を限定するとともに、これにより切断反応の特異性が高まることを主張して特許を成立させました。

注2)仮に、優先権の主張が認められなければ、出願日が遡及せず、最初の出願後に公開された文献を引用した「発明の新規性/進歩性」の拒絶理由や、ツールゲン社、シグマアルドリッチ社、ブロード研究所の特許出願に基づいた「拡大された範囲の先願」の拒絶理由が通知されていたかもしれません。

注3)カリフォルニア大学の特許出願において、真核細胞に関する実施例を伴わない明細書の記載と当時の技術水準に基づいて優先権が認められたことに鑑みれば、仮に、ヴィリニュス大学が、当初の特許出願において、真核細胞への適用に関する記載だけでも十分に行っていたなら、優先権が認められて、両者の権利関係は全く違ったものになっていたかもしれません。

(著者:弁理士 橋本一憲・セントクレスト国際特許事務所 副所長)


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ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。


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著者のプロフィール

橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)

橋本弁理士の似顔絵<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より特許業務法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。