知的財産の動向

シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話
【第2回】「特許発明の実施権(ライセンス)」

【2021年2月12日】

    ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。

 

(著者:弁理士 橋本一憲・セントクレスト国際特許事務所 副所長)

【第2回】「特許発明の実施権(ライセンス)」

第1回「特許はなぜ必要か?」では、特許制度が、発明の保護と利用のバランスを図った巧みな制度であること、すなわち、新しい発明をした者に独占を認めて保護する一方、その保護を一定期間(原則として、出願日から20年)に制限し、期間満了後は第三者に発明の自由な利用を認めて、技術の進歩が阻害されないように配慮していることを解説しました。

この「発明の利用」については、特許の存続期間中であっても、第三者が実施する手段があります。それが、特許発明の実施権(いわゆる特許ライセンス)です。特許発明の実施権には、大きく、同一範囲に重ねて実施権を設定できない独占実施権と同一範囲に重ねて実施権を設定できる非独占実施権があります。独占実施権は、一般に、同一範囲について他者に実施権が付与されたのでは投下資本と研究開発リスクに見合う収益を上げるのが難しい分野(例えば、研究開発コストが高く、成功確率の低い医薬品分野など)で取得される傾向にあり、その独占性ゆえ、非独占実施権と比較して実施料も高額となります。

ゲノム編集技術関連では、例えば、バーテックス社が、嚢胞性線維症および異常ヘモグロビン症(鎌状赤血球症を含む)の治療のためのCRISPR/Cas9の利用に関して、カリフォルニア大学側の基本特許の独占実施権を取得していますが、その実施料は、契約一時金だけで1億500万ドルにも昇り、マイルストーン(医薬品開発の進捗に応じて支払う実施料)として25億2000万ドル、さらにランニングロイヤルティー(製品の販売などに応じて支払う実施料)を含むことがアナウンスされました。

企業の開発対象が、仮に、複数の基本特許の技術的範囲に入る場合には、ビジネスを進めるために複数の実施権を取得しなければならず経済的負担がさらに増大することになりますが、ゲノム編集技術について基本特許権者同士が特許の有効性を巡って紛争をしている状況注1)では、そのビジネス判断は容易なものではないでしょう。とはいえ、他者に先に独占実施権を取得された場合には、知財基盤の整備は、一層、複雑かつ困難な状況になってしまいます。

一方、CRISPR/Cas9の農業分野への応用に関しては、医薬品分野と異なり、必ずしも独占実施権が要望されるわけではありません。しかも、幸運なことに、複数の基本特許権者からライセンスを取得する煩雑さを回避するため、現在、コルテバ・アグリサイエンス社注2)とブロード研究所のいずれかを窓口として、基本特許群全体に対する非独占実施権を取得できる枠組みが確立されています(図1)。実施料の基準などは非公開ですが、実際、筆者が所属するゲノム編集国家プロジェクトで生み出された作物も、CRISPR/Cas9を利用する場合には、この枠組みが活用されています。ゲノム編集技術の農業分野における応用では、有望標的への利用に関して次々と独占実施権が取得され、高額な実施料が必要となる医薬品分野と比較して、ビジネスのための知財基盤の整備がしやすい状況にあると言えます。

ゲノム編集成果物の社会実装のためには、知財基盤の整備以外に、国の規制というハードルも越えなければなりませんが、最近、その方針も明確になってきました注3)。このため農業分野におけるゲノム編集成果物が消費者の手元に届く日も、そう遠い未来ではないでしょう注4)

とはいえ、最後に、社会受容(国民理解)というハードルが待ち受けていることは忘れてはなりません。

注1)バイオステーション記事「CRISPR-Cas9の基本特許を巡る米国での争いが最終フェーズへ」を参照のこと(https://bio-sta.jp/development/2295/

注2)カリフォルニア大学およびヴィリニュス大学のCRISPR-Cas9基本特許に対する農業分野の独占実施権を保持するダウ・デュポン社の農業部門であったが、現在、分離独立。

注3)バイオステーション記事「ゲノム編集の取扱いルール」を参照のこと(https://bio-sta.jp/regulation-ip/)。

注4)バイオステーション記事「ゲノム編集によりGABAを高めたトマトが厚生労働省と農林水産省に届出・情報提供されました」を参照のこと(https://bio-sta.jp/news/administration/2152/)。

 

<次号の予告>

第3回は、「先発明主義と先願主義」をお届けする予定です。

<バックナンバー>


<著者のプロフィール>


橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)

橋本弁理士の似顔絵<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より特許業務法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。