知的財産の動向

シリーズ:いちから分かる!バイオと知財の話
【第1回】特許はなぜ必要か?

【2020年6月10日】

    ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、弁理士法人セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。

(著者:弁理士 橋本一憲・弁理士法人セントクレスト国際特許事務所 副所長)

皆さんは、特許によって、新たな発明を特定の人に独占させることについて、どう思うでしょうか。

独占によって第三者との競争が排除された場合、その技術を利用した製品の価格や品質が市場メカニズムを通じて決定される機能が減殺され、ひいては消費者の利益を損なうことになりかねません。このため技術の独占は、本来、好ましいものではないと言えます。

それでは、なぜ、特許制度は、特定の発明をした者に独占権を与えているのでしょうか。その大きな理由は、発明というアイデア(技術思想)は、模倣されやすく、他の人が発明を自由に使用できてしまうと、誰も投資や苦労をしてまで発明をしようとしなくなったり、発明が社会に開示されなくなったり、結果として、技術の進歩による産業の発展が阻害されることにあります。例えば、新薬開発には十年もの歳月と数百億円の費用が必要と言われていますが、独占権があるからこそ、製薬企業は、大きなリスクに耐え、安心して長期に渡る多大な投資を行うことができ、これにより社会に新薬が提供され続けているのです。

とはいえ、いつまでも独占を認めて、第三者が利用できないようにすると、それはそれで技術の進歩が阻害され、ひいては産業の発展が阻害されることになってしまいます。そこで、特許制度では、新しい発明をした者に独占を認めて保護する一方、その保護を一定期間(原則として、出願日から20年)に制限し、期間満了後は第三者に発明の自由な利用を認めて、技術の進歩が阻害されないように配慮しています。


それでは、大学発のゲノム編集基本技術については、どうでしょうか。学問的興味がある限り、いずれ技術は生み出され、学術誌や学会などを通じて社会に公開されるから、特許がなくとも問題はないとの主張もありそうです。しかしながら、例えば、特許があるからこそ、その研究を基盤とする大学発ベンチャー企業などに多くの資金が集まり、それが新たな発明や改良発明の創出を加速させたり、研究の方向性が学問的興味の方向性から産業に有用な方向性へと発展したりしている側面は無視できません。大学内においても、ライセンス先企業から得た資金を次の研究開発に結び付けたり、その一部を発明者に報奨金として還元して、発明者の研究開発意欲をさらに高めたりすることが行われています。この意味で、大学発のゲノム編集技術についても特許制度が機能していると言えます。

とはいえ、基本技術の特許の存在によって、アカデミア全体の自由な研究活動まで阻害されてしまうのでは、あまりに弊害が大きいでしょう。残念ながら、日本国特許法は、「試験研究のための実施」は特許権の効力外であると漠然と規定してはいますが、アカデミア研究にどの範囲で適用されるかについては何も答えを与えていません。現時点で、この点につき、明確な答えを与えた裁判例もありません。幸運にも、ゲノム編集の基本技術については、特許権者らが、自発的に、アカデミア研究での自由利用を保証してくれているのが現状です。

特許制度は、発明の保護と利用のバランスを図った巧みな制度ではありますが、まだまだ不完全なものです。ゲノム編集技術を取り巻く状況は、大学発画期的基本技術の保護と利用のあるべき姿について、これからも多くの視点を与えてくれることでしょう。


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著者のプロフィール

橋本 一憲(HASHIMOTO Kazunori)
橋本弁理士の似顔絵

<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より弁理士法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>映画鑑賞、釣り、サンゴ/熱帯魚飼育、旅行。