知的財産の動向

シリーズ:いちから分かる!バイオと知財の話
【最終回】国産ゲノム編集技術の開発、知財基盤の整備、そして社会実装へ

【2022年11月11日】

これまでは、海外発ゲノム編集技術であるCRISPR/Cas9系を題材として、様々なバイオと知財のお話をさせて頂きましたが、最終回は、大学発国産ゲノム編集技術を題材に、発明の誕生から知財基盤の整備を経て社会実装に至るまでの流れを、簡単にご紹介します。


 

1.発明誕生から大学発ベンチャー企業の知財基盤の整備までの典型的な流れ

①発明届の提出と大学による特許を受ける権利の承継

 

大学で新たな発明が生み出された場合、発明者は、その発明内容などを記載した「発明届」を大学知財担当部署に提出し、大学知財担当者と発明者との間で発明内容の詳細などについて打ち合わせが行われます。次いで、この打ち合わせの結果を受け、知財担当部署の「発明承継会議」にて、大学が特許を受ける権利を承継して特許出願するか否かの決定が行われます。【1】

大学では学問的価値ある多くの研究成果が生み出されますが、特許出願(特に、外国出願)にはそれなりの費用がかかりますので、通常、その全てを特許出願するだけの余裕は大学にありません。企業と異なり研究自体が国費などで行われている点を差し引いたとしても、ライセンスなどで特許経費を超える収益を得るのは容易なことではありません。

そこで、発明承継会議にて、ビジネス的価値を考慮した発明の選定が行われます。具体的には、発明の市場性(市場の規模や市場での優位性)、特許性(特許の成立性とその範囲)(シリーズ第5回「特許要件」)、完成度などが総合的に検討され、発明が企業の興味を引いて実用化される見込みがある場合には、大学が発明を承継して特許出願することになります。【2】

なお、大学が承継しなかった発明については、通常、発明者が特許を受ける権利をそのまま保有することになり、その処分や収益は発明者に委ねられることになります(下図参照)。

図. 大学における発明の特許出願までの流れ

    【1】特許を受ける権利は、原始的には、発明の完成と同時に発明者に生じますが、職務発明(従業者がその職務として行った発明)の場合には、使用者側(本記事の例では、大学)がそれを承継する権利を有しています。
    【2】発明届が提出される案件には、大学と企業との共同研究に基づく発明も多く含まれます。共同研究成果を企業側が特許出願して実用化する意向を示している場合には、「発明が企業の興味を引いて実用化される見込みがある」案件になりますので、大学側も学内発明者から特許を受ける権利を承継して、企業と共同で特許出願を行う可能性が高くなります。特に、特許手続きの費用の全体を企業側が負担する場合には、基本的に、大学側は特許出願を行うことになるでしょう。

 

②特許出願

大学が承継した発明については、ほとんどの場合、代理人である特許事務所に依頼して特許出願を行うことになります。

上記の通り、特許を受ける権利の承継前に、通常、発明者と大学知財担当者の間で打ち合わせが行われますが、特許出願を行う段階では、これら大学関係者に特許事務所担当者を交え、改めて知恵を出し合って権利化すべき発明概念を抽出し(シリーズ第7回「発明概念の抽出と特許権の効力」)、特許明細書に記載する内容の方向付けを行います。この議論を基に、特許事務所担当者が特許明細書案を作成し、大学関係者とのやり取りを通じて完成度を高めた上で、特許事務所が特許庁に対して出願手続きを遂行します。

なお、大学が特に重要性が高い発明であると判断した案件については、必要に応じて、当初の特許出願から1年以内に優先権制度シリーズ第4回「優先権制度」を利用した国際出願が行われます。

③大学発ベンチャー企業における知財基盤の整備

特許出願後、大学の知財担当者は、発明者の協力を得ながら、発明の実用化に興味を持ちそうな企業に声を掛けてライセンス活動を行います。その一方、発明が新たなビジネスを起こせるような技術である場合には、しばしば発明者を中心にベンチャー企業が設立されます。

ベンチャー企業は、ビジネスの基盤となる発明につき、大学から特許の独占ライセンスを取得して知財基盤を整備し【3】、以後、ベンチャー企業を拠点としたビジネスが展開されることになります。ビジネスに際し、他者の特許発明を利用する必要がある場合においては、当該他者からもライセンスを取得して、さらに知財基盤を整備する必要があります (シリーズ第2回「特許発明の実施権」)。

べンチャー企業は、大学から特許の独占ライセンスを取得した技術につき、実用化を行う企業へライセンス(サブライセンス)を行ったり、自ら実用化を行って収益を得ることになります。とはいえ、自らの収益でビジネスを回せるようになるまでには、多くの費用と時間を要しますので、ベンチャー企業設立から暫くは、株式(未公開株式)との引き換えなどにより外部資金を得るのが通常です。これら収益や資金は、ベンチャー企業において、次なる研究開発のための資金として新たな発明を生み出し、「発明の創出→特許化→実用化→収益→新たな発明の創出」という知財サイクルを繰り返すことにより、知財基盤が強化され、ビジネスが進展していきます。

    【3】特許審査にはある程度の期間を要しますので、大学発ベンチャー企業は、多くの場合、特許出願後、特許成立前に大学からライセンスを取得することになります。

 

2.国産ゲノム編集技術における事例

 

それでは、大学発の国産ゲノム編集技術の知財基盤の整備と実用化の事例を見ていきましょう。

我が国では、CRISPR/Cas9の基本特許を持つ海外勢に対抗すべく、国家プロジェクトを中心に国産ゲノム編集技術の開発が進められ、CRISPR/Cas9やTALENsの優れた改良・応用技術や新たなゲノム編集技術が次々と生み出されました。そして、これら国産ゲノム編集技術を基盤として多くの大学発ベンチャー企業が設立されています。

例えば、CRISPR/Cas9の部位特異的なDNAの切断においては、標的DNAの下流に存在するPAMに対するCas9の認識が必要とされますが、東京大学の濡木理教授らは、Cas9の特定の部位に変異を導入することにより、Cas9が認識可能なPAM配列を広範化することに成功しました (関連記事1)(日本特許6628385号など)。また、濡木教授らは、切断活性を喪失させた小型Cas9に転写調節因子を融合した融合タンパク質を利用して遺伝子発現調節を行う改良CRISPR/Cas9系(CRISPR-GNDM)を開発しています。濡木教授らの研究成果を基に設立されたモダリス社は、エディタス・メディスン社(ブロード研究所の基本特許につき、特定の医療分野の実施権を保有)よりCRISPR/Cas9系のライセンスを得て知財基盤を整備し(モダリス社HP) 、医療応用を中心としたビジネスを展開しています。2020年8月には、東証マザーズに上場を果たしました。

また、神戸大学の西田敬二教授らは、DNA切断活性の一部または全部を消失させたCas9に塩基変換酵素を融合することにより、ゲノム上の狙った1塩基だけを別の塩基に変換する改良CRISPR/Cas9系 (Target-AID)(関連記事2)を開発し(日本特許6206893号など)、この技術を基に、バイオパレット社が設立されています。バイオパレット社は、同じくデアミナーゼを利用したゲノム編集ビジネスを行うビーム・セラピューティクス社(同社は、ブロード研究所が保有するCRISPR/Cas9系の基本特許のライセンスを取得している)との間でクロスライセンスによりビジネス領域の切り分けを行い(バイオパレット社HP)、マイクロバイオーム分野を中心としたビジネスを展開しています。

一方、CRISPR/Cas9系の一世代前のゲノム編集技術であるTALENsについては、広島大学の山本卓教授らが、切断活性を飛躍的に向上させた改良TALENs(Platinum TALEN)の開発に成功しています(日本特許5931022号など)。TALENsにおいては、特定の塩基を認識する反復ドメインを組み合わせることにより標的DNAを認識しますが、Platinum TALENにおいては、反復ドメインの特定の位置のアミノ酸に一定の規則性によるバリエーションを持たせることにより、その性能の飛躍的な向上が図られています。同教授らにより設立されたプラチナバイオ社は、TALENsの基本特許の実施権を持つサーモフィッシャーサイエンティフィック社のグループ企業であるライフテクノロジーズ社からライセンスを得て (プラチナバイオ社HP)、幅広い分野でビジネスを展開しています。

さらに、CRISPR/Cas9やTALENsの基本特許に抵触しないと考えられる、新たなゲノム編集技術も開発されています。九州大学の中村崇裕准教授らは、PPR(pentatricopeptide repeat)と呼ばれるタンパク質の核酸認識コードを解読し、新たなゲノム編集技術として開発しました(日本特許5896547号など)。PPRには、DNAのみならず、RNAをも標的として編集できるという特質があります。この独自のゲノム編集技術を基盤技術としてエディットフォース社が設立され、医療分野を含む幅広いバイオ産業への応用に向けた開発が行われています。

また、CRISPR/Cas9とは異なる国産CRISPR/Cas系も開発されました。大阪大学の真下知士教授(現在、東京大学)らは、クラス1のI型CRISPR/Cas系であるCRISPR/Cas3を利用して真核細胞における内因性遺伝子のゲノム編集に成功しました(日本特許6480647号など)。この研究成果を基に、C4U社が設立され、幅広い分野でビジネスが展開されています。

3. 最後に

ゲノム編集技術を応用して作られた食品(ゲノム編集技術応用食品)を実用化する場合には、組換えDNA技術に相当するかという観点からの食品衛生法上の規制をクリアする必要があります(関連記事3)。

組換えDNA技術としての規制の対象とならないゲノム編集技術応用食品としては、これまでに、筑波大学発ベンチャー企業であるサナテックシード社の「グルタミン酸脱炭酸酵素遺伝子の一部を改変しGABA含有量を高めたトマト」と、京都大学発ベンチャー企業であるリージョナルフィッシュ社の「可食部増量マダイ」および「高成長トラフグ」の3件が届け出られて(2022年10月末時点)、商品化されていますが、いずれもゲノム編集技術としてはCRISPR/Cas9系が使用されています。

CRISPR/Cas9系には、標的遺伝子の切断効率などの面では利点がありますが、その基本特許を持つ複数の主体の間で特許紛争が係属しており、どの主体がどの範囲で有効な特許を取得するかいまだ不確定であるという問題やライセンス料の問題(特に複数の主体からライセンスを取得しなければならない場合)があります。

また、ゲノム編集においては、必ずしもCRISPR/Cas9系が適しているわけではなく、どのゲノム編集系が適しているかは、標的遺伝子などに応じて異なりうることも研究者の間では良く知られています。

一方、TALENsなどの融合タンパク質型のゲノム編集技術は、核酸(ガイドRNA)を含むCRISPR/Cas9系と異なり、タンパク質分子のみでゲノム編集が可能であることから、組換えDNA技術に相当するか否かという規制上の問題を回避できるという利点があります。

これらの理由から、最近ではCRISPR/Cas9系の利用を回避して、新たに開発された国産ゲノム編集技術を利用した研究開発も積極的に進められています。

例えば、上記のプラチナバイオ社とリージョナルフィッシュ社は、フード&ライフカンパニーズ社と共同で、改良TALENsであるPlatinum TALENを利用した魚類の研究開発を発表しています(プラチナバイオ社HP)。

また、広島大学では、Platinum TALENでニワトリのアレルゲン遺伝子を編集することによる低アレルゲン卵の開発を行っています(広島大学HP)

また、C4U社からライセンスを受けたコスモ・バイオ社は、CRISPR/Cas3系を利用してゲノム編集ニワトリを作成し、卵において様々なタンパク質を大量生産することを発表していますコスモ・バイオ社HP

本シリーズの前回までは分かり易さを優先して、CRISPR/Cas9系を題材の中心として説明してきましたが、実用化のためのゲノム編集技術は、何もCRISPR/Cas9系に限ったものではありません。

国産ゲノム編集技術を利用して開発された様々な成果物が消費者の手元に届く日も、そう遠くはないでしょう。

(著者:弁理士 橋本一憲・弁理士法人セントクレスト国際特許事務所 副所長)



 

シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話

ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。


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著者のプロフィール

橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)

橋本弁理士の似顔絵<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より弁理士法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。