【2022年2月17日】
優れた発明をして、世界中で特許を取得しようと思っても、国によって特許出願の手続きが異なるため、同時に様々な国に特許出願するのは、非常に大変なことです。かといって、自国で特許出願してから外国へ特許出願するまでに時間がかかってしまうと、その間に似たような技術が公表されたり、外国の出願日で他者に劣後するなどして、外国では特許が取得できなくなるかもしれません。このような出願人の不利益をなくそうというのが優先権制度です(これを”パリ条約に基づく優先権制度”といいます)。
優先権制度を利用すれば、ある発明について、特定の国で最初に特許出願してから1年以内に他国へ特許出願した場合、他国での特許出願について、最初の特許出願の日を基準に審査(特許性の判断)してもらうことができます。これにより、出願人には、他国へ特許出願するための1年間の猶予期間が与えられることになります。
この優先権制度を利用した場合でも、原則として、出願人は、各国毎に特許出願を行わなければならないことに変わりありませんが、国際出願という形式で特許出願を行うと1つの特許出願で世界各国へ特許出願したものとして扱ってもらうことができます(これを”特許協力条約に基づく国際出願制度”といいます)。このため、現在、多くの国に出願する場合には、その負担が少ない国際出願という形式が広く利用されています。
それでは、最初の特許出願後に研究開発を進展させ、他国へ特許出願する際に、新たな内容を追加した場合には、どのように扱われるでしょうか。この場合、他国への特許出願の際に新たに追加した内容にまで優先権を認めてしまうと、今度は、第三者に不利益を与え、先願主義(シリーズ【第3回】先発明主義と先願主義)に反することになります。従って、優先権が認められるのは、最初の特許出願に記載していた内容の範囲内になります。
新たな研究開発成果を盛り込んで内容を充実させたいのは、なにも他国へ特許出願する場合に限りませんので、日本を含む多くの国では、自国の特許出願同士についても優先権制度を設けています(日本では、これを”国内優先権制度”と呼んでいます)。これにより、自国内で、最初に特許出願をした後、それを基礎として新たな内容を盛り込んだ特許出願をした場合でも、最初の特許出願に記載していた内容の範囲以内で優先権が認められることになります。
とはいえ、優先権が認められるか否かの基準となる「先の特許出願に記載していた内容」の判断は、実際は、そう簡単ではありません。例えば、先の特許出願において実験で裏付けられていない内容の記載だけをしておいて、後の特許出願で、その記載内容を裏付ける実験データを追加した場合、先の特許出願に記載していた「実験で裏付けられていない内容の記載」に優先権は認められるでしょうか。
この点は、実際に、カリフォルニア大学らが保有するCRISPR/Cas9の基本特許でも争われました。カリフォルニア大学は、2012年5月25日に最初の米国出願を行い、その後、2012年10月19日に2回目の米国出願、2013年1月28日に3回目の米国出願、2013年2月15日に4回目の出願を行い、これら4つの米国出願に基づく優先権を主張して2013年3月15日に国際出願を行いました(図を参照のこと)。この国際出願を基に、CRISPR/Cas9系の真核細胞への適用を広範に含む日本特許(特許6692856号)が成立しましたが(関連記事1)、これに対して、特許を無効にしようと第三者から特許異議申立てがなされました(最終的にこの異議申し立ては認められませんでした)。優先権の基礎となる米国出願のうち、1回目と2回目の米国出願には、真核細胞におけるCRISPR/Cas9系の実験データは記載されておらず、3回目の米国出願で初めて追加されたため、この特許異議申立ての争点の一つとして、真核細胞に関して、1回目と2回目の米国出願の優先権の利益が享受できるかが争われました。その結果、日本国特許庁は、真核細胞でCRISPR/Cas9系を用いてゲノム編集できることが明細書に文言上記載されているだけでなく、1回目の米国出願の当時の技術常識に基づいて当業者が真核細胞においてCRISPR/Cas9系を実施できたといえるとして、優先権を認めました。
一方、現在審理中の対応米国特許のインターフェアレンス手続き(発明日を巡るカリフォルニア大学とブロード研究所の争い)において、ブロード研究所から同様の主張がなされました。ブロード研究所は、カリフォルニア大学よりも最初の米国出願は遅れをとりましたが、真核細胞の実験データを含む米国出願としては先行していたため(図を参照のこと)、真核細胞の実験データのない1回目と2回目の米国出願に基づくカリフォルニア大学の優先権を否定することにより、優位な立場を築こうとしていました。その結果、米国特許庁においては、カリフォルニア大学側の発明者であるダウドナ自身が、当時、細菌で見出されたCRISPR/Cas9系が真核細胞で機能するかは不明であると述べていたことなどが証拠として重視されて、1回目と2回目の米国出願に基づく優先権が否定され、優先権が認められたのは3回目の米国出願からとなりました(関連記事2)。優先権が認められるか否かの基準となる「先の特許出願に記載していた内容」の判断は、時には、国により異なる判断がされる可能性すらある難しい作業なのです。
このように優先権制度は、他国へ出願するための猶予期間として、また、特許出願の内容を充実させるための手段として幅広く利用されていますが、最後にもう一つ、見落としがちな優先権制度の利点をご紹介します。それは、特許の寿命を延ばすことができるということです。優先権を主張した特許出願について特許が成立した場合、20年間という存続期間の満了日は、最初の特許出願の日からではなく、優先権を主張した後の特許出願の日から起算されることになります。これにより最大で1年間、特許の寿命を延ばすことができます。たかが1年と思われるかもしれませんが、莫大なライセンス料を得ているCRISPR/Cas9の基本特許などでは、この1年の経済的価値は、非常に大きなものとなるでしょう。
(著者:弁理士 橋本一憲・弁理士法人セントクレスト国際特許事務所 副所長)
<関連記事1>
「米カリフォルニア大学のゲノム編集に関する2件目の基本特許が日本で成立」
<関連記事2>
シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話
ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。 |
シリーズの全記事
【第4回】優先権制度
著者のプロフィール
橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)
<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より弁理士法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。