知的財産の動向

シリーズ:いちから分かる!バイオと知財の話
【第3回】先発明主義と先願主義

【2022年1月6日】

皆さんは、同じ発明をした人が複数いる場合、最初に発明をした人と最初に特許出願をした人のどちらに特許を付与すべきと考えるでしょうか。前者に特許を付与すべきという考え方が“先発明主義”であり、後者に特許を付与すべきという考え方が”先願主義”です。

後から発明したにも拘らず、単に特許庁への書類の提出が早かったというだけで、その人に特許が付与されてしまう先願主義は、先発明者に酷で不公平だと考える人も多いかもしれません。しかしながら、先発明主義にも、発明日の先後の判断が困難であり、成立した特許の安定性に欠けるなどのデメリットがあります。このため、現在、世界の全ての国が、先後の判断が容易で権利の安定性に優れる先願主義を採用しています。とはいえ、米国では、先発明主義を採用していた時代(2013年以前)に出願された特許に関して、いまなお発明日を巡る争い(“インターフェアレンス”と呼ばれています)が続いています。その代表例が、CRISPR/Cas9システムの基本特許を巡るブロード研究所(米国)とカリフォルニア大学(米国)の間の争いです。最近、この両者の争いに加え、同じく基本特許を持つツールジェン社やシグマアルドリッチ社がブロード研究所とカリフォルニア大学のそれぞれに対して争いを開始し、状況がさらに複雑化してきました。2016年にブロード研究所とカリフォルニア大学との間で最初の争いが始まってから、既に6年が経過していますが、主導権争いへの新たな参加者もあり、いまだ全体的な解決の目途が立っていません。多くの時間と莫大なお金を費やした当事者のみならず、多額の対価と引き換えにライセンスを受けた多くの企業のビジネスの安定性にも影響を及ぼしています。仮に、CRISPR/Cas9システムが生み出される前から、米国が、他国と同様に、出願日で優劣を決する先願主義を採用していたなら、基本特許を巡る状況は、より明確かつ安定的になっていたことでしょう。ゲノム編集技術の基本特許を巡る米国での争いは、私たちに、先発明主義のデメリットと、現在、世界全体が先願主義を採用していることの合理性を実感させてくれる貴重な機会になっています。

なお、先願主義を採用した場合、同じ発明をしながら他者に特許を取得されてしまった者に対して何らの権利も与えられないかというと、必ずしも、そうではありません。例えば、日本も含めた多くの国では、特許を取得した他者の出願前から独自に発明をしていた者に対して、一定の条件下で、無償の実施権(”先使用権”と呼ばれています)を与えています。この意味で、世界で採用されている主要な先願主義は、より正確には、先発明主義との間で一定の調和を図った先願主義と言えるでしょう。

(著者:弁理士 橋本一憲・弁理士法人セントクレスト国際特許事務所 副所長)

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シリーズ:いちから分かるバイオと知財の話

ゲノム編集技術の産業応用を考える上で、特許の問題は避けることができません。ゲノム編集技術の基本特許は海外に押さえられているから、日本の企業は莫大な使用料を払わない限り、ゲノム編集製品の開発はできない、といった声も聞かれますが、果たしてそうでしょうか? 我が国でも、ゲノム編集に関する新たな基本技術や優れた応用技術が開発され、特許化が進められてきています。ゲノム編集技術をとりまく特許について正しく理解し、しっかりとした知財戦略(ライセンスインするのか、回避するのか)を立てて開発や商品化を進めることが重要です。このコラムでは、セントクレスト国際特許事務所の橋本一憲弁理士に、特許の基礎からゲノム編集技術の特許に関わる国内外の動向、さらに知財戦略の考え方まで、いちから分かりやすくシリーズで解説していただきます。


次号の予告

しばらく休載していたこの知財コラムですが、2022年の年明けを機に再開いたします。次の第4回は「優先権制度」について、2月にお届けする予定です。

その後は、だいたい1~2か月に1回のペースで、バイオと知財について分かりやすい解説を掲載していきますので、ご期待ください。

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著者のプロフィール

橋本 一憲 (HASHIMOTO Kazunori)

橋本弁理士の似顔絵<略歴>1993年東北大学理学部生物学科修士課程修了/1995年弁理士登録/1996~2005年特許事務所勤務/2005~2009年東京医科歯科大学知的財産本部特任准教授/2007年より㈱IPセントクレスト代表取締役/2009年より弁理士法人セントクレスト国際特許事務所代表社員(副所長)、弁理士<研究テーマと抱負>内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)、新たな育種体系の確立(第I期)、バイオテクノロジーに関する国民理解等(第II期)、知的戦略担当(ゲノム編集技術)。<趣味>サイクリング、映画鑑賞、サンゴ/熱帯魚飼育。